「鬼落山に絡まる怪談」

 爐を囲み吊り鍋を中に、夕食団欒に一日の終わりを告げて居る、時に台所の一隅に高く祀ってある、大黒棚の大黒様が、バタリと落ちた。弟の仙蔵はおこって、「早や鼠の野郎が出て大黒様をおとしやがった」と、妻をして棚へ上げさした。爐辺暖かな話は、次ぎ次に展開していると、又しても大黒様が落ちた。別に詮議に及ばず、鼠の悪戯として、元の如く大黒棚に納めさしたが、上げると又おちた。
 三度目に父の良右衛門は、「コリャ不思議じゃ、鼠じゃあるメー」と大黒棚を見はってをる。弟の仙蔵も「本当に鼠じゃあるメー、何か神様のお告げじゃらう兄キのところに何事か出来たかナア」といふ。父も「それに違はん、一つわりや行って見さ」といひながら、嫂に早くわらじ脚絆の用意を促した。すると嫂もとりあわて、上衣を着せる、鉄砲を持たせる、わらじをはかせて出す。父は弟の周章てゝ出て行くのを制し、「騒いでは怪我をするぞ、此の父もあとから出かくる何あわてるな」と力をつけた。

 時に兄の伊右衛門は二三日前からして鬼落山に小屋掛けして狩猟してゐた、弟の仙蔵は馴れた道だが、火縄を打ちふり、僅かな灯りで山道を、ひた走りして小屋近くになった、すると何だか刃物の音がしてをる格闘をしている様子だ、弟は叫んだ。「兄キ、弟が来たぞ、兄キ弟が来たぞ」と連呼して上って来た、兄は小刀を揮ひ、怪物と懸命に奮闘している、もう疲れきって半死半生といふ場面であった、弟の声が耳に這入ったので、心の緊張が解けたと見え、バッタリと打倒れた。時に弟が放った一発は、闇を破り空谷に響き渡った。其一発はあやまたず、怪獣を其場に撃ち留めた。

 仙蔵駆けつけて見ると兄は全く倒れて絶息してをる、抱き起こし水をふくめ「兄ヨー、弟が来たゾー、兄ヨー」と頼りに呼び醒ました、呼ばれて兄も漸つと甦がへった。

「ウーン、よう来て呉れた、助かった、よう来てくれた」と兄弟肩を抱き合って、蘇生の喜をなした、あたりを見れば、毛も何もはげかゝつた、大し逞しい猿候が撃ちぬかれているが、まだ口元をうごかしてゐた。

 仙蔵は兄を看護し、之を背負ひ、怪獣を引き摺って、夜半戻って来た、家には兄弟の消息如何にと爺父を始め娶どもは生きた気はせなかった、弟が兄を背負ひ帰りついたので、気息奄々の兄を取り囲んで、無事を祝ったり、看護したり、一悲劇を演じてゐた、すると兄は語り出した。

 今日は可なり獲物もあり、猪の一きれを炙り夕飯を喫してをると、烏帽子直衣の神官見た様のものが小屋に現はれ、何事もいはず、おれの炙ってをる肉をオッ取って喰ふ、これは怪しからぬ怪物に違ひないと見たので、一刀を揮って斬りつけると、飛鳥の早業で、とても手にかゝらぬ、もうこちらも疲れて、今にも取りひしかれんとして居た所に、弟が来て呉れて助かった。

                                      (大宇佐郡史論による)

        鬼落山にまつわる民話
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